明和の凶年と大量餓死
どんな伝承か
同じ災害が六十六年を隔てて、明和三年から四年にかけてもう一度おこった。このときも島民がかなり死に、流人も二十人近くが餓死している。薩摩芋のありがたみがようやく認められたのは、この痛ましい経験を経てからのことであった。天明三年の凶作のあと幕府は三年ほど流人の送り出しを見合わせたが、明和の年にはまだそうした手加減をせず、前々どおりに囚人を島船へ積み出していた。その多くが一年あまりのうちに死んだのも、おそらくは食べ物のせいであったろう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
柳田国男編『定本柳田国男集 第1巻』を全451話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。