三根神湊の難破と八人溺死
どんな伝承か
寛政六年七月、船頭彦次郎は小船を仕立て、夫食を積んで八丈を出帆したが、難風に遭って房州に漂着し、国地に越年して空しく八丈へ戻って来た。次いで九月十二日にもう一艘の食料船を出したが、これは無事に着き、帰ったのはやはり翌年であった。寛政七年の一番舟は二月十九日に八丈を出帆し、まだ沖へも乗り出さぬうちに三根の神湊で難破して、乗組八人は残らず溺死した。二番舟だけが四月に出帆して無難に目的を達し、二月目に還って来たが、それを最後にして約七年の間、事実において青ヶ島との交通は絶えてしまった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。