加太の湊の干潟と玉藻刈り
どんな伝承か
西に開いた紀州の加太の湊は、どこから吹き寄せるのか、奥の方は海の藻ばかりで、朽ちた土は沈んで干潟となり、片端はもう要塞兵の練兵場にさえなっていた。海の草は岸に打ち寄せると忽ち白く枯れ、風の後などは堆く積まれている。諸国の入海の岸に住む民が玉藻を刈るという昔からの手業は、これを何の用途に充てたのかを考えてみた者もないらしいが、それは恐らく田に入れて土を新たにするためであった。そうした隠れた海との交渉も、今はもう絶えてしまったのである。
原典より
諸國の入海の岸に住む民が、玉藻を苅るといふ昔からの手業は、之を何の用途に充てたのかを考へて見た者も無いらしいが、それは恐らく田に入れて土を新たにする爲であつた。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。