角館で果てた三河生まれの旅人
どんな伝承か
菅江真澄、本名は白井英二秀雄は、天明の初年に二十八で三河国を出て、出羽の角館で七十六歳をもって没した。故郷の生まれた家の所在すら今も明らかでなく、繰り返し紀行を読むと、あの時代としては珍しい事情があって、遠国の大雪の底に親を思う百篇の歌を埋めるに至ったことが想像される。遊覧記初巻の伊那の中路によれば、天明三年の春までの紀行は渡し場の舟が覆って流してしまったという。天明四年の正月は信州の諏訪近くで迎え、六月に洗馬を発って戸隠に詣で、七月末に北信へ向かい、越後を通って九月には羽前の鼠ヶ関に着いていた。腰を落ち着けて休む家もなかったのである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。