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登戸は水害で対岸へ移った村

所在地神奈川県川崎市多摩区登戸
年代不明(中世〜近世)
登場—
出典定本柳田国男集 第3巻

どんな伝承か

登戸という地名は、坂の登り口にできた部落という以上の隠れた意味は考えられず、東国にはまだいくらもありそうな古い名だと柳田はいう。坂本や坂梨が昔から駅場だったように、支度や足ごしらえで自然に往来の人が淀むので、のちにひとかたまりの部落ができた、純然たる農村ではなかったことが察せられる。現在は平場だから人が訝しむけれども、これは水害によって村を取られ、新たに川のこちら側についた空地へ引き移ったもので、住所の地筋と記憶とは絶えなかったというめでたい記念とさえ見られるという。二箇領用水の掘鑿は慶長六年前後だから、その頃にはもう登戸は坂の登り口には無かったと見られる。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。

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地名伝承水害多摩川

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