白川郷の多層民家と間取り
どんな伝承か
四階五階もある高い藁屋は、分家制限に伴う必要からであろうが、平地の倹約ということも確かに大きな理由で、日向椎葉村の細長い家と同じく土地の人の工夫に基づく近年の改良かと柳田は考えている。普通、入口に当たる所を入っていくと、左は厩屋で折れ曲がった土間が通り、右手には垂れ蓆が垂れていて、その中をオイという。オイには炉があって、その横座には家の隠居が坐る。主人はその次の台所という部屋の炉の横座を占める。オイから外部に面して高窓という窓が切ってある。こういう一例を見て来たが、他の家々もたいてい同じ作りかと思うという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。