胎藏寺
どんな伝承か
「足利尊氏譜」に、延元元年十一月、足利尊氏は冠を解いて上総長柄の胎蔵寺に隠居した、と見える。この長柄山の胎蔵寺は臨済宗で、千葉秀胤の建立にかかるものだと言われている。秀胤は建治二年八月に上総介となり、弘安四年五月に鎌倉へ召し下され、同六年六月に安達氏らが一の宮大柳館に襲ったと伝えられるが、境内の古碑は弘安四年の銘であるから、この地に居住して胎蔵寺を建立したものと思われるという。この胎蔵寺は上総地蔵順礼の第一番の札所であって、本殿の間脇にある径三尺三寸の古鐘は、鎌倉時代の物であるという。
原典より
「足利尊氏譜」に、『延元元年十一月、足利尊氏は、冠を解し、上総長柄胎蔵寺に隠居す。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 上総の巻』を全218話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。