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石神井まで尊氏を追った新田義宗

所在地東京都練馬区石神井
年代正平七年(1352年)
登場新田義宗、足利尊氏、新田義興、脇屋義治、宗良親王、義宗の異母兄・新田方の武将、新田方の武将、士卒を激励した南朝の宮、花一揆を率いた足利方の若将
出典行楽と史蹟の武蔵野

どんな伝承か

小手指ヶ原で足利方が崩れると、新田義宗は尊氏の旗をめがけて馬を走らせ、獲物を追う猟師のように夢中で石神井まで追いすがった。道中で幾度も討ち取れそうになりながら、そのたびに踏みとどまって防ぐ敵兵に阻まれ、ついに尊氏を取り逃がしてしまう。日が暮れて小手指へ戻った義宗は、義興と義治が仁木勢に囲まれて敗れ、東へ落ちたことを知り、再起を期して笛吹峠へ向かった。一方の義興と義治は多摩川を越えた関戸で思わぬ援軍を得て、主のいない鎌倉を一時占領したが、義宗が笛吹で敗れて越後へ走ったと聞くと、二人も越後へ落ちていったという。

原典より

ところが此時、鹿を追う獵師のように夢中になつて一気に石神井まで尊氏を追って行った義宗は、途中で幾度か彼を討ち果しそうになり乍ら、其都度頑強に踏み止まつて抵抗する敵兵の爲に遮られて、遂に惜くも彼を取り逃がし、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))

『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。

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