太良鉱山の盛況を写した絵と歌
どんな伝承か
秋田に戻って来た翌年、四十九歳の春、真澄は北秋田郡木戸石村の村長佐藤吉兵衛の家に居た。三月の初めにここを出て藤琴川の流れを上下し、七座や高岩の諸山を登拝し、それから険しい路を越えて太良の鉱山を訪ねた。当時の山主は成田某で、その家の大きな台所に難人とともに一宿したともあるが、主に世話をしたのは山田という在勤の医者であった。詳しく一山を見物し、山稼ぎの模様までが精確に絵に描かれ、また働く男女の歌や生活ぶりが写してある。長くこの事業に携わった人々の記録にも、この鉱山の百年前の盛況をこれほど具体的に書き残したものはあるまい。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。