吉野国栖の朝廷参仕
どんな伝承か
天武天皇紀の吉野行幸の条に見える『猎者二十余人』は国栖のことだろうと柳田はいう。国栖は応神紀にその人柄が素朴であると記され、佐伯とは本来別の種族と思われる。新春に朝廷で行われた国栖の奏は、もともと彼らが山を出て来て仕え、御贄を献じたことに始まる。延喜式の宮内式には節会のとき国栖十二人・笛工五人を定員としたとあり、笛工のうち二人だけが山城綴喜郡にいたというから、他の十五人はもとは吉野の奥から呼び出されたのだろうと推し、神亀三年に召し出された記録も残っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第4巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第4巻』は、柳田国男の著作を集めた定本の一巻である。岩手県遠野の伝承を佐々木鏡石から聞いて書いた「遠野物語」、山に入った人や神隠しを論じた「山の人生」、河童・ひだる神・一つ目小僧・天狗などを扱い妖怪名彙を付す「妖怪談義」を収める。ほかに「山人考」「史料としての傳説」「比丘尼石の話」「山人外傳資料」「『イタカ』及び『サンカ』」「山民の生活」など、山人・漂泊民・妖怪をめぐる論考を併せる。