義経と弁慶が籠った寿福寺
どんな伝承か
寿福寺には本尊の虚空蔵菩薩とともに、泉州の長谷寺の像と同じ木から彫ったという十一面観音が祀られている。前九年の役に出陣した源義家は、途中この寺に留まって観音に必勝を祈り、大勝を得たと伝え、以後も多くの武将がその前で武運を祈ったという。文治年間には、兄頼朝に疑われて不和となった源義経が、曾祖父義家の例にならってこの地に留まり、家来の武蔵坊弁慶とともに寺で勢力の立て直しを図ったこともあったという。寺の裏山には、弁慶が隠れ住んだと伝える武蔵窟の洞穴がある。
原典より
斯て、人皇八十二代、後鳥羽天皇の文治年間(皇紀一八四五—一八四九年)に、兄頼朝の猜忌から兄弟不和となつた義経が、會祖義家の例跡を辿つて此地に留まり、侍臣武蔵坊辨慶と共に此寺に大勢の恢興を謀つたこともあった。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。