児玉党に始まる忍城の起こり
どんな伝承か
関東七名城の一つに数えられ、「忍の浮き城」として知られた忍城を持つ忍町の発祥については、確かな文献がない。ただ後鳥羽天皇の頃、すなわち源頼朝全盛の頃に、頼朝に従って活躍した武蔵七党の児玉党の一派がこの地に住んで児玉氏あるいは武蔵氏を称したというから、町もその中古の頃に生まれたものとみられる。児玉党の一派は足利時代まで引き続きこの地を支配し、扇谷上杉家の太田道灌の隆盛期に成田親泰がその庇護のもとでここを奪い取ったときの領主は、忍大丞または大掾重行といい、児玉党の一族だったと伝えられる。以後、忍城は成田氏の手に移って面目を一新し、城下町としての忍も大きく発達した。
原典より
それは、文献的に確證を把み得ないが、人皇八十二代、後鳥羽天皇(皇紀一八五九一一八七○年)の頃、即ち源頼朝全盛の頃、彼に従つて活躍した武藏七黨の兒玉黨の一派が、此地に住して「兒玉氏」或は「武蔵氏」を稱したとゆうから、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。