姿不見橋から淀橋への改名
どんな伝承か
中野長者鈴木九郎の下僕殺しの伝説の後日譚。重い荷を背負って餘戸橋(淀橋)を渡る姿は見えても帰る姿が見えず、長者の邸へ行った者は再び帰らないという噂や、花嫁の輿がこの橋にかかると姿が消えるという話から、人々はこの橋を姿不見橋と呼んで不気味がった。あるとき将軍が狩りの帰りにこの橋へさしかかると先供が橋上に停滞したので、不快に思った将軍は道を変えて江戸城へ帰ったという。のちに橋は淀橋と改められた。大正二年には中野町の浅田政吉が怨霊を退散させようとこの橋の清秋式を行ったと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))