鴨の空を覆った御猟場と海苔農家
どんな伝承か
南行徳の老人たちが御猟場のいわれを語る。昔は空が黒くなるほど鴨がいて、浦安の下から船橋まで鳥棒が立つ禁猟区で、鴨は安心していられたが、農漁民には迷惑だった。鴨が藻の根を食いちぎった屑が海苔の網について芽を潰し、農家では苗代が荒らされ、廃止の反対運動をしても役場は聞かず、大正の初めに届いたご下賜金も農家には一銭も回らなかった。昭和十九年から御猟場で働いた男性は、終戦の年の初猟の当直で大勢の鉄砲撃ちに囲まれ、アメリカ兵が追い払ってくれたと言う。天皇は今井の渡しから馬車で着き、おとりで水路に誘った鴨を網で捕らえ、好物の肝を召し上がった。外国人が人力車で入る行列も見られたという。
原典より
お爺さんご猟場はどうして行徳にできたのでしょうか。—— 市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年))
『市川の伝承民話 第1集』は、市川民話の会が昭和五十五年に編んだ民話の資料集である。市川市教育委員会の事業として昭和五十四年度に千葉県市川市の国分・北国分・行徳・南行徳で行った採訪調査のうち、テープ起こしを終えた語りを、方言も残して話者の息継ぎのままに記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部に分けて地区別に並べ、話末に話者・地区・記録者の名を添える。