豊臣の残党が落ちのびた増間の里
どんな伝承か
安房郡三芳村の増間という山里は、天下分け目の関ヶ原の戦いに敗れた豊臣氏の家臣で、真田源五という者の一行が、相模の三浦半島から海を渡って房州へやって来て、山奥のこの地に落ちのびたところだと伝えられる。徳川氏の目を逃れるため、長いあいだよその村と交際もせず、ひそかに暮らしてきたのだといい、そうした土地柄から、愚か村ばなしの代表といえる「増間ばなし」が成立したといわれている。なお増間から遠くない安房郡富浦町八束の丹生にも、同じく豊臣がたの残党という伝承があり、そこには「かぶと塚」があって、以前掘ったところ立派な香炉が出てきたと伝える。
原典より
安房郡三芳村の増間という山里は、天下分目の関が原の戦いに敗れた豊臣氏の家臣で真田源五という者の一行が、相模の三浦半島から海を渡って房州にやって来て、山奥の増間に落ちのびたという。—— 房総の伝説(平野馨) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
房総の伝説(平野馨)
『房総の伝説』は、平野馨が安房・上総・下総の旧三国、ほぼ今の千葉県に伝わる伝説を選んで編んだ資料集である。ホトトギスやワラビの由来、片葉の芦や頼朝の箸の杉、弘法の井戸、将門や八幡太郎の話、坂戸神社の人身御供、証誠寺の狸など、動植物・石・池・地名・家・祭りにまつわる伝説を市町村名を添えて記す。はしがきに示す自然伝説・歴史伝説・信仰伝説の三部に分け、解説や論評を加えずに書き連ね、似た話のある土地も併せて挙げる。