幡随院長兵衛の死体が流れついた橋
どんな伝承か
町奴の幡随院長兵衛は、旗本奴の水野十郎左衛門から和睦の酒宴と偽って招かれ、小石川牛天神の綱千坂の屋敷を単身で訪ねた。酔わされたところを配下に徳利を投げつけられ、待機した者に斬られ、十郎左衛門にも斬りさげられてだまし討ちに遭う。死体はこもに包まれて江戸川に捨てられ、新小川町の隆慶橋(竜慶橋)に流れついた。知らせを受けた子分たちが浅草の源空寺へ運んで葬ったと伝わる。時に長兵衛三十六歳の男盛りであった。
原典より
時代 江戸時代 慶安三年(一六五〇) 四月一三日町奴の幡随院長兵衛が率いていた浅草組と、旗本奴の白柄組の総領水野十郎左衛門とは、遊里や劇場を背景に、事あるごとに争ってきた。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。