笠森の乙女
どんな伝承か
笠森観音の開祖にまつわるのは、朱雀天皇の后妃に関わる伝説である。后妃を失った天皇は嘆かれ、后に似た者があれば尋ね来て妃に上げようと奉行を国々へ下された。今の水上村の里の宮成に一人の百姓がおり、十六になる娘がいた。五月乙女の姿で出かける途中、尾上の坂で雨がひどく降ってきた。娘は野面の観音の尊像が濡れるのをいたわしく思い、傘と自分の着ていた蓑を御肩に着せ掛け、自身は笠もつけずに雨の中で田を植えた。奉行衆が笠を着けぬ訳を尋ね、よく見ると娘の容貌は失われた后に少しも違わない。都へ連れ登られた娘は天皇の寵愛を受け、望みとして観音の御堂の建立を願い出、天皇は飛騨の工の子孫を上総へ遣わされたという。
原典より
楠、自然石像である處から、今の報恩院の院号が出たのださうで(解脱院と)ある。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 上総の巻』を全218話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。