おいとこ節
どんな伝承か
大正四年に流行した江戸子節の「おいとこそうだよ」は、徳川の末期に江戸で流行を極めた唄が元である。老中水野忠邦が企てた下総印旛沼開鑿の工事で、数千の土工が唄った地方唄が、佐倉あたりの茶屋の小娘に移り、工事関係者の口から江戸へ運ばれたものだという。もっとも本唄と思われる白升節は、村の者が大勢集まって唄う念仏の題目唄で、粉屋は白升、娘の名はおさよと唄われるのが普通であった。粉屋になるには一代二代では足りぬと、十代続く粉屋の暮らしが延々と唄い込まれている。
原典より
大正四年に至って流行した於江戸子節の唄に、おいとこそうだよ、江戸の日本橋に、伊勢屋と書いてだよ、お椀は十六、十七は粉屋の娘だ、成程よい娘だ、あの娘と添うなら、三度に三度でも、手桶で水も汲みましょ、掃除もしましょ、手鍋もさ…—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 上総の巻』を全218話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。