源頼朝が留まったと伝わる鎌倉台
どんな伝承か
海上郡海上村大字柴崎に、一つの高地がある。これを鎌倉台というのである。昔、崇徳天皇が八幡の社を創立せられた所であると伝えられている。源頼朝が総州へ流れてきたとき、この地に出て祈りを捧げ、罪業を晴らそうとして社を修め、この地にとどまったということである。これより後、その跡地を鎌倉の名で称えるようになり、今もなおその名を留めている。毎年八朔には祭儀を行うのである。『海上郡誌』に見える話である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 下総の巻(藤澤衛彦・日本伝説叢書・1919年(大正8年))
『日本伝説叢書 下総の巻』は、藤澤衛彦が編著し、大正七年の緒言と大正八年の序を添えた下総国の伝説集である。平将門・佐倉宗吾・真間の手児奈・累などを中心に、千葉県と茨城県西部にまたがる旧下総の城跡・寺社・墓・橋・井戸などにまつわる伝説を、地誌や古記録の引用を交えて収める。緒言で百七十九編を収めると述べ、国名の由来から始めて、話ごとに所在の町村名を付した見出しを立てて並べる。