遊客を帰らせた天竜寺の追い出し鐘
どんな伝承か
内藤新宿は甲州街道の宿駅として栄え、旅籠屋には飯盛女が置かれた。名目は給仕や雑用だが実際は娼婦で、旅人は茶屋の酒に酔い、旅籠の女に金を費やした。享保三年にいったん宿駅は廃されたが、明和九年二月二十日に再開され、飯盛女の数は品川五百人に対し内藤新宿は百五十人と定められた。街道の往来はいっそう賑わい、旅籠はいつしか娼家に変わって、泰平に慣れて士気を失った武士たちが遊興にふけった。夜が明け、近くの天竜寺の鐘が鳴ると彼らはしぶしぶ帰っていったので、この鐘は天竜寺の追い出し鐘と呼ばれたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・昭和初期~昭和中期)