八百比丘尼が越えた尼来峠
どんな伝承か
遠敷郡奥名田村の網田峠には、昔、八百比丘尼がこの峠を越えて、丹波国何鹿郡奥上林村大字故屋岡のうちの尼公と呼ばれる所へ移っていったという伝えがある。そのことから、この峠はそれ以来、尼来峠と呼ばれるようになったという。若狭から丹波へ抜ける山越えの道に、諸国を巡り歩いた八百比丘尼の足取りが地名として刻まれた例として、著者が八百比丘尼の章に書き留めたものである。
原典より
遠敷郡奧名田村網田峠から、昔、八百比丘尼が丹波國何鹿郡奧上林村大字故屋岡の内尼公と稱する處へ越したので、こ、の峠をそれから尼來峠と謂ふ由。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。