生利の娘・菊女と小幡家の凋落
どんな伝承か
国峰城主小幡信貞の領内、多野郡神川村生利の里正新井右近の娘・菊は才色を備え、召されて侍女となり寵愛された。妬んだ朋輩が主君の飯に針を仕込むと、信貞は菊の仕業と信じて蛇責めの刑に処し、宝積寺裏山の池に桶ごと沈めた。猟の途中の小柏源六が桶の蓋を破ったが、菊は源六の家に毒蛇の害がないよう言い残して死んだ。母は池のほとりに煎り胡麻を蒔いて娘の霊に復讐を祈り、三日後に芽が出ると「愚願成就即顕怨霊」と唱えた。以後小幡家には不幸が続き、信貞は小田原落城のとき切腹を命じられ、弟や従弟も各地で討死した。妙義町中里字五輪平にも菊女の墓があり、そちらでは菊を甲斐から来た菅根正治の娘とする異説を伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
群馬県史 資料編 27(群馬県史)
『群馬県史 資料編 27』は、群馬県の県史の資料編の一冊で、収めるのはその「第三章 伝説」である。伝説の定義と分類、『神道集』や近世の地誌から明治以降の郡村誌・伝説集に至る県内の調査の歩みを述べ、赤城と日光の神戦、赤堀道元の娘と木部姫の入水、文福茶釜、羊太夫、弘法伝説などを群馬の伝説の特色として論じる。続いて代表例を自然的・社会的・信仰的伝説の三つに分け、各地の口承と古記録を伝承地を添えて並べる。