疫病の平癒を祈って法華経を納めた塚
どんな伝承か
法華経塚は栄三ッ池下三六番地にあり、広さは一二坪だった。位置は、大脇の曹源寺前にある本願寺の墓地から見て真西に当たる。前を通る道はお遍路道としてよく賑わい、塚の二〇メートル手前で南に折れると二番札所へ出た。塚の上には松が一本立っていた。目通りの直径が二〇センチ、高さは四メートルほどで、笠のような形に枝を広げた見事な木だったという。築かれた時期は分かっていないが、大脇の集落で悪い病がはやった折、人々が平癒を願って法華経を書き写し、この塚に納めて供養したのが起こりだと伝わる。集落から見て真西に当たることから、辺りは「西の根」と呼ばれた。塚は区画整理の事業によっていまは失われている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊明市史 資料編 5 (民俗編)(豊明市史)
『豊明市史 資料編 5 (民俗編)』は、豊明市の市史の資料編のうち、民俗編の第一節「伝説」を抜き出したものである。栄町・沓掛町・大久伝町・新田町などに残る塚・地蔵・観音・清水・古木にまつわる言い伝えを、所在地や大きさ、ご利益とともに記し、旧鎌倉街道沿いの十三塚と狐、二村山の身替わり地蔵、織田信長にちなむ鷺の森などを含む。じゅんてん観音から市場地蔵まで二十一の項目に小見出しを立てる。