田村麻呂が建てた保科の清水寺
どんな伝承か
保科のお観音さんと呼ばれ、清水寺にまつられる観音の由来。延暦二十年、坂上田村麻呂は蝦夷征討の旅で東山道を進み、信濃で出会った不思議な老人から、高井郡保科にも尊い観音がおられると教えられた。将軍は先を急いで遠くから伏し拝むだけで陸奥へ向かったが、戦は難航し、兵も疲れ切っていた。将軍が老人の話を思い出してひたすら観音に祈ると、ついに北上川の流域をほぼ従えることができた。感激した将軍は保科の谷に京の清水寺をまねた堂塔を建て、自らの兜の鍬形と太刀を納めた。この鍬形は日本最古のものとされ、重要文化財になっている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第4巻 3 (北信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第4巻(三)北信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち北信地方の伝説の章を抜き出したものである。植物・石・水・塚・坂と峠・山・沢と道・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌の順に、条ごとに採集地を添えて短い伝えを並べる。戸隠の鬼女紅葉、黒姫と大沼池の大蛇、久米路橋の人柱、秋山郷の平家伝説など、善光寺平から奥信濃にかけての土地に結びついた話が多い。