弘法大師が掘り当てた赤湯の湯
どんな伝承か
昔、米野与惣右エ門という者が薬師如来を厚く信じていた。ある夜の夢に如来が現れ、紀州高野山の弘法大師が諸国を巡ってまもなくここへ来る、この地には湯が湧く所があり大師はその出口を知っている、と告げて消えた。目覚めた与惣右エ門が礼参りに薬師堂へ行くと、旅の僧が一人泊まっていた。恐る恐る尋ねると、その僧こそ弘法大師だった。大師は与惣右エ門を連れて山へ入り、岩をどけて湯の源を見つけ、与惣右エ門がその霊湯の守り役となって伝えたという。名の起こりは、湯の神への生贄に赤子を埋めたからとも、土が赤く冬も雪の積もらない所の井戸で牛馬を洗ったので赤井・赤湯と呼んだからともいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
南陽市史 民俗編
『南陽市史 民俗編』の伝説の節を抜き出したものである。山形県南陽市の白竜湖の由来と東正寺の僧の話、金沢の三坂(七両坂・泣坂・薄雲坂)、猫の宮の猫、二色根薬師、赤湯温泉の起こり、吉野の大黒岩と千人塚、珍蔵寺の鶴、三堀観音などを収める。置賜盆地の湖と温泉と山の寺にまつわる伝えが中心である。