負が沢に出る一つ目のどうでん坊
どんな伝承か
小滝から宮内へ向かう街道で一番の難所は負が沢だった。谷が深く丸木橋しかないため、荷はすべて背負い、年寄りや子どもも背負われて渡ったことから、背負うを意味するこの名がついた。村人は薪や山菜を担いで宮内の町へ売りに行き、買った品を背負って戻ったが、沢に着く頃には日も暮れ、太郎村の明かりにほっとする。ふと川辺を見ると一つ目のどうでん坊がにやりと笑って立っており、驚いたはずみに川へ落ち、這い上がると品物はすっかり消えていた。こうした事が重なり、日暮れ前に渡れ、さもなくば沢の上から呼べば太郎村の者が提灯で迎えに来る、と戒め合ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
南陽市史 民俗編
『南陽市史 民俗編』の伝説の節を抜き出したものである。山形県南陽市の白竜湖の由来と東正寺の僧の話、金沢の三坂(七両坂・泣坂・薄雲坂)、猫の宮の猫、二色根薬師、赤湯温泉の起こり、吉野の大黒岩と千人塚、珍蔵寺の鶴、三堀観音などを収める。置賜盆地の湖と温泉と山の寺にまつわる伝えが中心である。