田村将軍の矢が立った矢立ノ松
どんな伝承か
田村麻呂が東征の折、菅谷の達谷窟を攻めるにあたって、遠く離れた鞍掛山から合図の矢を放ち、戦を始めたという。その矢は栗出と菅谷の境に立つ大きな松に突き刺さったので、人々は珍しいこととして矢立松と呼ぶようになった。松は明治の世まで残っていたが、明治三十二年の大嵐で幹の途中から折れて倒れてしまった。それでも残る大きな根張りから、在りし日の姿をうかがうことができるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
滝根町史 第3巻 (民俗編)
『滝根町史 第3巻(民俗編)』の口承文芸の節から伝説を抜き出したものである。福島県田村市滝根町(菅谷・神俣・広瀬)の大滝根山の田村麿と大滝丸、入水寺の観音、小野小町の伝え、鶴ヶ池物語、人柱茂左衛門、曽富登神社、六句の坊、片手観音、三本足の鳥、姥捨山などを収める。古い村誌の文語の引用と聞き書きの口語が混じる。