法然に帰依し入水した五人の遊女
どんな伝承か
同じ川辺郡の小田村神崎には上臈塚、または遊女塚、傾城塚とも呼ぶ塚がある。『摂陽群談』によれば、円光大師が讃岐へ下る途中この川岸に船をつないでいたとき、五人の遊女が大師のもとへ来て罪を懺悔し、仏の教えによる導きを願って、五人とも水に入って死んだ。その亡骸を探してこの川岸に埋め、供養したという。
原典より
天正七年、伊丹落城の際、織田氏の兵、勝に乗じて城中の婦女を一所に集めて焚殺したといひ、後の人が憫んで塔を建てたといふ。—— 日本伝説名彙2 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙2
柳田國男監修『日本伝説名彙』の後半にあたる部分で、全国の伝説を地物の種類ごとに分けて集めた名彙である。塚の部(糠塚・七人塚・首塚・十三塚など)、坂・峠・山の部、谷・洞の部、屋敷・城趾の部(長者屋敷・朝日長者・白米城など)、祠堂の部(地蔵・薬師・観音・天神・八幡・稲荷・宮など)の各題の下に、府県・郡・村の所在地を頭に置いて各地の伝えを短く並べ、多くの条に出典の郡誌・伝説集の名を添える。