平将門の首を弔う膏薬図子
どんな伝承か
天慶の乱を起こした平将門は、九四〇年(天慶三年)二月、俵藤太秀郷によって首をはねられたことになっている。その首は京都へ持ち帰られてさらされたのち、下京区四条の西洞院に埋められたといわれる。しかし京の人々は、反逆者である将門の首が埋められたことをたいへん嫌った。それを知った名僧空也上人は供養道場を建て、将門の霊を弔ったという。おもしろいことに、いつしかこの「供養道場」がなまって「膏薬図子」となり、お堂のある小路をいまも「膏薬の図子」と呼ぶようになったそうである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊大全(中岡俊哉・2000年(平成12年))
『心霊大全――20世紀の超自然現象世界』は、中岡俊哉が二〇〇〇年(平成十二年)に著し、ミリオン出版から刊行した超常現象の総覧である。日本各地と世界各国の怪奇現象・伝説・心霊の地を県別・国別に紹介し、心霊写真・自動書記・憑依などの心霊現象、臨死体験と輪廻転生、透視・念力などの超能力、手かざしの治療を解説する。全六章から成り、巻末に著者インタビュー、著書・ビデオ作品一覧、あとがき、著者略歴を付す。