原長者の館を襲った木の精と草野常門
どんな伝承か
孝徳天皇の白雉のころ、豊後の日田郡曲桶原に草壁春里という長者がいた。財宝があふれ、里人は原長者とも蔵園長者とも呼んだ。ある秋の夜、春里が姿を消してから、夜半になると黒雲が棟にかかり、一族が一人また一人とさらわれていった。筑後の草野の猟師草野太郎常門が山で道に迷って館にたどり着くと、ただ一人残った娘が経を写していた。常門は妖怪退治を決意し、夜、迫る光を射ると手ごたえがあった。血の跡をたどると、矢の刺さった銀杏の巨木から血が流れていた。樵の姿の木の精が、誓いを破って自分を伐った祟りだと告げて消えた。木はのちに大蛇となって筑後川を流れ下り、常門が刻んだ仏が観興寺のフクラ観音だという。
原典より
それは夜半になるこ一抹の黒雲がすーこ館の棟にか、つて長者の一族の誰かゃさらはれて行くこいふここであつた。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。