神功皇后の御船が化した帆柱石
どんな伝承か
筑前粕屋郡の名島に、帆柱石と呼ばれるものがある。神功皇后が三韓から凱旋したとき、名島の磯につないで残していった御船が化して岩になったのだという。船岩と呼ばれる方は波に削られて形が崩れたが、帆柱石は周り一丈余り、長さ三丈余りで、五つに折れて横たわり、木目がくっきりと浮かんでまるで生木を削ったようである。根元は船岩の中に入り込んで石質がまったく違い、金輪の跡と呼ばれる鉄色の所さえある。名島は香椎宮からほど近い所にあるという。
原典より
神功皇后が三韓から凱旋せられた時御船を名島の磯につなぎ捨て給ふたが化して岩こなつてしまった。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。