掘るたび祟る三島古墳
どんな伝承か
大谷中学校の東方、眺望の展けた三島の丘に、先史時代のものといわれる三島古墳がある。昔は二十一か所に塚があったと伝えられ、里人がそこに鍬を入れたり、玉石を拾ったり草を刈ったりしても、必ず発病や出火などの祟りを受けるといわれていた。現在は形のととのった塚が八か所残っている。明治四十二年、丘の下に建築をするとき、岩を切りだすため丘の上を掘るとたくさんの勾玉が出てきて、のち東京の博物館に委託した。大正二年の発掘では玉類と古剣の柄頭が出て警察署が保管したが、のちに同署は火事で焼失した。これも古墳の祟りにちがいないと、焼跡から玉を拾い出して塚に納め、碑を建てたという。
原典より
大谷中学校の東方、眺望の展けた三島の丘に先史時代のものといわれる三島古墳がある。—— 宮城県史 民俗編(茂木徳郎(「妖怪 幽霊」の章)・宮城県史シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城県史 民俗編(茂木徳郎(「妖怪 幽霊」の章)・宮城県史シリーズ)
『宮城県史 民俗編』は宮城県の県史の民俗編で、ここに収めるのは茂木徳郎が執筆した章「妖怪 幽霊」である。山・道・木・水・海・雪・家など出現の場所による分類に沿って妖怪変化を論じ、幽霊とヒトダマ・死霊・生霊の観念を考えたうえで、県内の妖怪・幽霊・動物変化の伝承を郡・町村名を添えて集める。序説・本論・事例篇・参考の順に並び、序説では昭和二十四年の迷信調査と昭和三十年のNHK仙台中央放送局の調査にも触れる。