無実の刑死と飛んだ首
どんな伝承か
今から三百年ほど昔、寛文のころ、津谷東禅寺の住職木陽和尚は学徳が高く尊敬されていたが、これを嫉む者があったのか、破戒僧だとして検断所で調べられた。さらに伊達騒動の主役原田甲斐の一味が身内であるという噂を流され、身に覚えのない濡衣を着せられて、津谷に設けられた刑場で打首にされることになった。和尚は、破戒の罪があるなら我が首は地に落ちるであろう、無実であったなら首は飛び上がるであろうと言い残し、刎ねられた首はどこへともなく飛び去った。それから村には血塗れの腕が下がるなどの怪異が続いた。一、二年ののち、日山という托鉢僧が呼び止められ、草むらから石に噛りついた首を見つけて懇ろに弔うと、怪異は絶えたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城県史 民俗編(宮城県史シリーズ・昭和中期(推定1960-1970年代))
宮城の民間信仰と禁忌(宮城県史民俗編)/禁忌を破る祟りと火玉/河童・狐狸の怪/年中行事と俗信/地域の幽霊・妖怪伝承