薬王寺へ踊り詣でた人々と荒物屋の娘
どんな伝承か
阿南方面では日和佐の薬王寺に最も多くの参詣者が集まった。古くから霊験あらたかな寺として春秋には阿波中から参る人があり、「ええじゃないか」でもおびただしい人数だった。『市場町史』には好いた同士で薬王寺に参り踊った者も多かったとある。今田春造によると、師走の十日過ぎに由岐の方から裸の踊子が三、四人踊ってきたのが始まりで、御祓や恵比寿大黒が降ったと町じゅうが踊り出し、多い日には四、五百人が参った。山のあちこちで粥や餅の施行があった。水落作五は、娘になってから人前に出されなかった麓の荒物屋の娘が、親の目を盗んで侍姿で由岐まで踊っていった話を伝える。
原典より
阿南に於ては、日和佐の 藥王寺が最も參詣者が多かつたやうである。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。