由岐港の踊りを止めた砲声
どんな伝承か
慶応四年正月五日、由岐の港あたりは渦巻くような踊であった。そこへ轟然と一発、また一発、天地も崩れんばかりの大音響が鳴り渡り、叫びとともに踊はぱたりと止まった。人々は真蒼な顔を見合わせ、地鳴りだ、神様が皆御殿へお帰りになった音だ、世が開ける兆の音だと囁き合い、神々の御声だとして踊をやめることに決めた。数日後、その音の正体が、幕府海軍の榎本釜次郎が薩摩の軍艦を追って伊島沖で砲戦し、由岐港外で薩艦を撃沈した砲撃であったと知れたという。
原典より
慶應四年正月五日、由岐の港あたりは渦巻くやうな踊だつた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。