沖の大岩に置き去られた女郎
どんな伝承か
明和のころ、土佐藩の若侍石島健太郎は参勤の供で江戸に上り、吉原の女と深い仲になって身請けし、他国者を入れない国の掟を承知で船底に隠して連れ帰ろうとした。船が阿部の沖に来たところで女は見つかり、船を血で汚せないとして、沖の大岩の上に置き去りにされた。その夜の大嵐のあと女の姿は岩から消えていた。以来、雨の夜には岩の上で泣く女の姿が見え、嵐の夜には岩全体が女の姿になって船をにらむといわれ、女郎岩と呼ばれるようになった。
原典より
このことがあってから、雨の夜など近くを通る舟の者は、岩上に泣き崩れる女郎の姿を見たといい、…—— 阿波の怪談(横山春陽・郷土怪談・民俗・1958年(昭和33年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波の怪談(横山春陽・郷土怪談・民俗・1958年(昭和33年))
『阿波の怪談』は、横山春陽が昭和三十三年に編み、徳島新聞出版部から発行した郷土の怪談集である。徳島県の各地と土佐との国境の山中に伝わる山女郎、淵や池の主、カッパ、亡霊、火の玉、タヌキやキツネ、大ジャの話を、平安朝の言い伝えから藩政期、明治・大正、昭和の出来事まで、編者が古老に聞き、書物から拾って題ごとに並べる。おわりにでカッパやヘビの話の多い地域や海の話の少なさについて記す。