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雪の剣山で耳を失った裸の踊子

所在地徳島県美馬市木屋平(富士の池)
年代幕末
登場吉田源三、民衆、記録者、体験者
出典阿波えゝぢやないか

どんな伝承か

真冬のさなか、肌を裂くような寒さにもめげず、踊子たちは雪に覆われた剣山へ登っていった。久保絹蔵によれば、五十人、百人、二百人という群れが、富士の池のあたりを昼夜の別なく踊りながら行き来したという。地元の杉山秀吉は、山には一月前から雪が積もり、寒さに困った徳島の組の噂もあって地元の者はあまり登らなかったが、よそから来た組は構わず登り、多くは途中で引き返しながら剣山の御札を持ち帰ったと語る。その徳島の三十人ほどの組にいた吉田源三は、裸で如意輪堂まで登ったものの寒さに耐えられず、焚火で夜を明かすうちに皆が凍傷にかかり、自分も両耳を失ったと話している。

原典より

時候が厳冬の最中であつたから、寒烈膚を劈くやうであつたけれども、踊子はそれにもめげず文字どほり白雪 皚々たる剣山に攀つて行つた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))

『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。

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