日比谷公園の人波に立つもう一人の自分
どんな伝承か
日支事変のさなか、徐州陥落の祝いで各地に旗行列や提灯行列が出ていたころのことである。語り手は高見順、詩人の倉橋弥一、のちに沖縄の戦争悲話を書く石野経一郎と銀座を歩き、夕方から日比谷公園のあたりで行われる祝賀行列を見に行った。帝国ホテルと公園の間の大通りは見物人で埋まっていた。そのとき倉橋が素っ頓狂な声を上げ、公園の入口の交番の脇を指さす。百メートルほど先の人波の中に、同じ背広に同じベレー帽姿の語り手自身が立ち、こちらを見ていた。高見がドッペル・ゲンゲルだとつぶやき、倉橋が人垣をかき分けて近づくと、その姿は消えていた。
原典より
それから今度は第三回目・・・・・・これも、ゾッとするような、気味のわるい体験だ。—— お化けについてのマジメな話(平野威馬雄・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
お化けについてのマジメな話(平野威馬雄・1974年(昭和49年))
『お化けについてのマジメな話』は、平野威馬雄が昭和四十九年に著した幽霊とお化けをめぐる随筆である。自ら主宰する「お化けを守る会」に寄せられた体験談や、大阪の毎日放送のラジオ番組で聴取者が電話で語った話を軸に、前世や霊媒・降霊実験など海外の心霊研究、井上円了の妖怪論、古い記録に見える犬神などの憑きものを取りあげる。体験談から死後の世界、お化けを呼ぶ方法、昔のお化けへと進む八章立てで、巻末にあとがきを置く。