五百七十九枚の札に沸いた高遠城下
どんな伝承か
上伊那の高遠は天竜川から離れた土地だが、城下町を中心に札が降り、祝いの祭りが大いにはやった。最初の降札は十月四日で、十五日からは次々と降るようになり、高遠では二百七十五軒、のべ三百二十一軒に五百七十九枚もの札が降った。高遠藩の役所は祭礼を許し、十月二十六日からの二夜三日は前代未聞の騒ぎになったという。山車や手踊り、はだか踊り、俄などがくり出し、周りの村からも人々が加わった。ここでは、ええじゃないかは「豊年祭り」として祝われた。
原典より
お札降り・ええじゃないかの信濃への経路と波及には、伊那谷を天竜川ぞいに北上した経路と、名古屋大流行の流れが中山道をへてはいってきたものとの二とおりの道筋があった。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。