九段の伝承
どんな伝承か
昭和十七年二月、報告者は九段の東部第三部隊(近衛歩兵第二連隊)に現役兵として入営した。雪の降りしきる底冷えの日で、入営第一夜の点呼が済むと、古年兵たちが慌ただしく出て行った。戻った彼らの話では、二十日ほど早い一月十日に入営した初年兵が脱走し、雪の上の足跡が九段下寄りの清水門で途切れていた。この寒さでは門の外の濠で死んでいるだろう、泳ぎ渡ったとしても逃げ切れまいという。その兵が自分と同じ東大出と聞いて報告者は衝撃を受けたが、彼の消息はついに知れないという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
現代民話考 ― 軍隊(松谷みよ子・民話・口承文芸)
『現代民話考 ― 軍隊』は、松谷みよ子が編んだ、軍隊と戦争をめぐる現代の民話の集成である。日本民話の会の雑誌『民話の手帖』での呼びかけやアンケート、聞き書きによって寄せられた話をもとに、十五年戦争を中心に徴兵検査から新兵のしごき、戦地、虐殺や飢え、敗戦、収容所、戦犯、軍隊生活の怪談までを収める。巻頭に序文「明日の民話のために」と論考「軍隊考」を置き、十三の部に分けた各話の末に話者と回答者の名と在住地を記す。