矢作川で拾った物言う人形
どんな伝承か
宝暦のはじめごろ、三河の矢作橋の普請で、江戸から大勢の役人や職人が出向いていた。ある日、人足頭が川べりに立っていると、板の上に人形のようなものを載せて流れてくる。子どもの玩具とも思えず、面白がって拾って宿に置くと、夜中に、明日はこうなる、誰それは明日病む、などと告げはじめた。巫女の使う外法の類かと懐に入れて持ち歩いたが、次第にうるさくなり、捨てるのも恐ろしい。土地の者に話すと、拾えば禍を受けると驚かれた。老人に教えられ、拾ったときのように板に載せて川上へ行き、後ろ向きのまま流して振り返らずに帰ると、祟りはなかったという。
原典より
宝暦のはじめにや、三州矢作の橋御普請にて、江戸表より大勢役人・職人等彼地に至りしに、或日人足頭のもの川縁に立しに、板の上に人形様のものを乗せて流れ来れり。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。