成親が加茂上社の杉の洞で吒幾尼法
どんな伝承か
『平家物語』の鹿ヶ谷の条に見える話である。新大納言成親は、身の程を越えた大将の位を望み、加茂の上社の御宝殿の裏にある杉の洞に壇を設け、ある聖を籠もらせて、吒幾尼の法を百日間行わせた。すると七十五日目に雷がしきりに鳴りとどろき、宮中までも危うくなったという。著者は、古今著聞集に見える吒祇尼の法が狐神への立身栄達の祈願であったのに対し、ここでは同じく栄達のための法でありながら、はっきり外法と記されている点に目を向けている。
原典より
鹿ヶ谷の条に記されているもので、新大納言成親が非分の大将を狙って、加茂の上社の御宝殿の後なる杉の洞に壇を建て、ある聖をこめて、…—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。