赤倉山の白い点から掘り出した孔雀石
どんな伝承か
伏見稲荷で霊鳥地下に棲むという声を聞いてから一年近くたったころ、若森常次郎の使う若者の一人が、持山の赤倉山の岩壁の中ほどに月のような丸い白い点があると知らせた。若森はすぐに試掘を決め、白い長石を芯に残して周りを掘り進めたが、機械を取り寄せ横穴を十数メートル掘っても何も出なかった。一か月半ほどして長石の先が赤い岩に達したと聞くと、若森は翌朝神主の装束で坑内に入り祝詞をあげ、岩を割らせた。断面には孔雀の羽のような極彩色の紋が輝き、若森はこれを神示の霊鳥と信じ根尾孔雀石と名付けたという。
原典より
若い者の報告によると、坑口から貫いて来ているあの白い長石の末端が、この日赤い岩に達したのだった。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。