邇邇芸天皇が授けた赤子の名
どんな伝承か
二十二日、侍女が大神から簪を賜るので宮へ参れと告げ、春が出かけると、一町ほど行ったところで侍女が簪を持って来て渡し、もう参らなくてよいと言った。大神が千年も使ってきた品だというが、作りは近世風に見えた。翌二十三日、春が簪の礼に宮へ参る際、父は生まれた子の七夜なので名付けを伺ってほしいと頼んだ。木花開屋姫命は富士山へ出かけて留守で、邇邇芸天皇がひとりいて、赤子に武四郎という名を与え、七百文札も贈り、春に尊い言葉をさまざまにかけたという。
原典より
昼後春女昨日のかんざしの御礼を申上んと宮へ参る故今日は此度生れたる小児の七夜なれば名をいかにつくべきや大神に伺奉るやう春女にあつらへやりしに、…—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。