長壁明神に母の安産を祈る少女
どんな伝承か
前橋藩士富田政清の家は貧しく子も多かったので、十三歳の娘の鎧は母の手助けに台所仕事や子守に追われていた。母はこの十月が産み月だったが、これまでお産のたびに難産で乳も足りなかったため、鎧は子どもを連れて遊びに行くたびに、前橋城内三ノ丸にある長壁明神の社で母のお産が軽いようにと祈っていた。明治三年十月の初めから、その鎧の身に不思議なことが起こり始めたという。父政清が娘の語るままに書き留めた日記を、同じ藩の村上政中が借りて写し、由来を序文に記したのが『前橋神女物語』である。
原典より
さて此の富田氏いと貧しくして、万心の如くならず常に飽かぬ事のみにて月年を送りたるに、今年十月の始よりして、鎧女に、くすしくあやしき事あり。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。