大坂の細川屋敷で果てたガラシア
どんな伝承か
細川忠興が三河攻めに出て間もなく、石田三成は大坂方の力をまとめようと、諸大名の奥方を大坂城内へ呼び集めて軟禁しようとした。何も知らない奥方たちが次々に城へ入る中、ガラシアだけは再三の命令にも従わなかった。業を煮やした三成はある夜、三百騎の兵で細川の屋敷を囲み、力ずくで連れ去ろうとした。家老の小笠原正済は先頭に立って防ぎ、石田方が火を放つと、ある侍は屋根に上って瓦をはがしては投げつけ、最後まで戦った。火が館に回ると、ガラシアは好きな小袖を山と積んだ居間にこもった。自害を禁じられたカトリックの信者であったため、正済に次の間から長刀で胸を突かせ、静かに息を引き取ったという。
原典より
カトリック教徒は自殺をすることが出来ないので、老臣正斉に命じて長柄のナギナタを次の間から突きだしてもらって、それでわざと心臓をつかれて心しずかに死んでいった。—— 私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年))
『私の心霊術』は、長田幹彦が昭和三十年に著した心霊研究の随筆集である。死後に残る霊や地獄・極楽をめぐる考えを述べ、熊本の家系や安達謙蔵との交わり、東京放送局の文芸顧問だったころの回想、霊友会など戦後の新興宗教への批判、前著『霊界』への反響と自らの信仰を語る。「心霊科学の来世観」「霊界の構造」「ぼくの信仰」などの章からなり、末章「ある霊媒の生態」では霊媒服部との実験とそのトリックの顛末を描く。