湯地丈雄の元寇記念碑
どんな伝承か
著者が子供のころ、家の近所に湯地丈雄という熱血の人がいた。蒙古襲来を描いた幻灯や油絵を携えて全国を回り、子供たちに見せて歩いた人である。黒いあごひげを著者の頭にこすりつけながら神風の勝利を説き、感極まると人目もはばからず泣いた。著者はよく遊びに行き、おとなしい娘のなか子に八つのころから淡い恋心を抱いたという。湯地は熊本の出で、一時は福岡の鳥飼に住み、福岡の千代の松原に元寇記念碑を建てるため一家で生涯をかけた。のちには蝋管の録音にも乗り出した憂国の人だったと、著者は懐かしむ。
原典より
黒いアゴ鬚をチャリチャリぼくの頭へこすりつけちや、あの神風の勝利を説いて、感きわまると手ばなしで泣いていた。—— 私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年))
『私の心霊術』は、長田幹彦が昭和三十年に著した心霊研究の随筆集である。死後に残る霊や地獄・極楽をめぐる考えを述べ、熊本の家系や安達謙蔵との交わり、東京放送局の文芸顧問だったころの回想、霊友会など戦後の新興宗教への批判、前著『霊界』への反響と自らの信仰を語る。「心霊科学の来世観」「霊界の構造」「ぼくの信仰」などの章からなり、末章「ある霊媒の生態」では霊媒服部との実験とそのトリックの顛末を描く。