上穂で押しとどめた中坪村の百姓
どんな伝承か
慶応二年の十月二十四日、千村氏の預所であった手良郷中坪村から、百姓七十人あまりが列をなして街道に出た。地主との小作争いに決着をつけようと、飯田の荒町役所へ訴え出るつもりだった。一行が上穂の宿場にさしかかると、中坪村の村役人たちが仲裁を頼み込んできたため、嘉蔵ら宿の者は百姓たちをその場に引き止め、夜を徹して話をまとめた。おかげで一行は訴えに向かわず、村へ引き返していったという。凶作と米価騰貴のもとで、千村支配下の村々に小作争議が続いていた時期の出来事である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌)
『駒ケ根市誌 近世編 お札降り』は、『駒ケ根市誌』近世編のうち、幕末の世情と「お札降りと民衆の狂乱」を記した一節である。慶応期の凶作と米価騰貴のなかで起きた吉五郎一件、松本平の打ちこわし、伊那谷の小作争議に続いて、慶応三年秋に赤須・上穂の宿場や村々へ伊勢大神宮の御祓などが降り、酒宴やヤッチョロ踊りの狂乱に広がったさまを述べる。上穂町の「大沼日記」と上穂村の「横山日記」を引いて日を追ってたどり、大政奉還から戊辰戦争へ向かう政局に結ぶ。