二度の札祭りに百五十五両
どんな伝承か
半田の一帯で最初に札が降ったのは、九月十日ごろの西成岩村で、皇太神宮のものだった。半田村の豪商小栗三郎兵衛の家では、両宮の仮の社殿を建て、神酒と餅を供えて十月三日まで七日七晩の祝宴を張った。満願の日に豪勢な振る舞いを用意していたところ、十月二日にふたたび豊川大明神の札が降り、二度にわたる札祭りの出費は百五十五両余りに達した。西成岩村には九月十日から十月二十五日までに百十二枚が降り、四割近くを秋葉山が占めた。札は地主や豪農の家ほど多く降っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。