座敷の床を踏み抜いた多気村の踊り
どんな伝承か
伊勢国一志郡多気村の丹生俣に住む平尾惣左衛門が残した記録によると、村では慶応三年十一月十日ごろから翌年の正月にかけて、二十軒ほどの家に札が降った。神仏の降下に合わせて、男は女の姿、女は男の身なりになり、老人は子どもに扮して踊り回った。人々は家々の座敷へ土足のまま上がり込んで床をあちこち踏み抜き、断りもなく入ってはええじゃないかと唱え合った。平尾家にも十二月三日に皇太神宮と霊符山の札が降り、五日にわたる祝宴の費用は七十両に及び、村人から酒や金を祝儀として受け取った。伊勢神宮へ参詣に出た様子はみえない。
原典より
一志郡多気村丹生俣平尾惣左衛門は「不思議成直御影諸用控」という記録を書き残したが、それによると、多気村では十一月十日ごろから翌年正月にかけて、二〇軒ほどに降っている。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。